うつ病ダイバーシティ

うつ病を精神病理学で解き明かす、軽妙筆致の新感覚・学術書!

著 者 小林 聡幸
定 価 3,520円
(3,200円+税)
発行日 2023/09/27
ISBN 978-4-307-15075-0

四六判・362頁

在庫状況 あり

最近、世間ではうつ病は心の風邪、誰でもかかる病気というキャンペーンがはられ、すっかりスティグマは軽減した。抗うつ薬のマーケットは拡大し、副作用の少ない薬が開発されて、極論だが「うつかどうかよくわからないけど、大して害はないから薬でも飲ませとけ」という時代にまで変化している。
うつ病はいったん世間で脚光を浴びたが、いまや関心は斜陽、アカデミアではいつでもちょっと日陰者。それでも、もう一度うつ病についてきちんと考えようという意見を共有する精神科医は少なからずいるが、まだまだ不十分だ。
診断基準やガイドラインだけでは立ち向かえないうつ病の臨床のリアルに、精神病理学の扉が開く。エッセイと学術が行き来する軽妙な筆致で描き出す、新感覚の精神医学書。
プレリュード:うつは世につれ世はうつにつれ

環の章 コロナうつなんか怖くない
 コロナ禍にうつ病はかわったか
 コロナ禍はうつ病発症を押したか
 新型コロナウイルスはうつ病を惹起するか
 うつ病はコロナを取り込むのか

沌の章 泥沼化するうつ病最前線
 古きよき内因性うつ病
 操作的診断と軽症うつ病
 ニッポンのうつ病
 双極性障害とうつ病性障害の分離

刻の章 不安、恐怖、抑うつ 〜未来の脅威、現在の危機、過去の呪縛
 抑うつの周辺症状
 不安―この根源的なもの
 恐怖―この動機付けられたもの
 抑うつ―内容のない喪失
 未来・現在・過去

極の章 双極性障害としてのうつ 〜二つの極の狭間を飛ぶ、墜落なしに
 二つの極の病気
 頻発性双極症
 「上昇力」と「落下力」
 拮抗面の安定化

混の章 躁とうつの混合 〜天高く心沈み、死ぬほどに歓呼す
 天高く歓呼し、死ぬほどに心沈む
 混合状態の検討と評価
 躁うつ混合の臨床的諸相
 躁うつ病の基本的病像としての混合状態
 宮本の構想の現代的意義

幻の章 夢幻様状態 〜逃げたら、夢で逢いましょう
 うつなきうつ
 「ボケた」母 
 カツ丼の味と夢幻様体験
 うつ性の受け入れの困難
 「無知」としての躁とヒステリー
 精神療法的観点

徴の章 自己臭 〜におってごめんのセミオティクス
 ハラハラ狂詩曲
 うつと自己臭
 ふぬけで忌避される
 自己臭と身体近接性
 自己臭とうつ病性妄想
 自己臭と混合状態
 自己臭の記号論

インテルメッツォ1 登場薬物名鑑

迫の章 強迫 〜とらわれたのは、あなたのせいよ
 とらわれのラーメン屋
 強迫症から生ずるうつ
 うつ病から生ずる強迫
 うつと強迫の内的関連
 うつと強迫の往復運動
 こだわりがとらわれを癒す

妄の章 妄想 〜みだりであるが、みだらではない
 妄想性うつ病は減っているか
 妄想と気分
 一秒が長い
 うつ性の受け入れと妄想
 意識野の解体としての妄想

燥の章 焦燥 〜じりじりと焦げつく時間
 うつ病の「ひみつ」
 混合状態としての焦燥
 焦燥とは何か
 焦げつく時間
 時間は存在しない

響の章 人格特性 〜うつ病患者の同調性と等張性
 抗うつ薬は効かない?
 遷延化する軽うつ状態
 ジントニー
 同調性と等張性

インテルメッツォ2 うつのフォース

治の章 うつ病のレジリアンス 〜内なる回復のリズム
 自虐と自負
 生きづらさとポリフォニー
 回帰性と剛性
 音楽なき音楽療法
 ニューロダイバーシティの転調

ポストリュード:こんにちは
プレリュード:うつは世につれ世はうつにつれ

 プロ野球でもJリーグでも、各チームにスター選手がいる。同様に臨床各科にスター疾患がある。消化器内科なら胃潰瘍、循環器内科なら心筋梗塞。
 てなことを言うと即座に異論が噴出する。優秀な選手が何人もいた方がいいとか、スター選手のいないチームこそがいいチームだとか。いやいや、そっちの話じゃなくて。
 病気をスター扱いするとは何事だなんて声も聞こえてきそうだ。確かにあなたのかかった病気はスター疾患ですよ、と言われて嬉しい人はいないと思う。いや、どうかな。世にも稀なる奇病ですと言われるよりも、よくある病気ですよと言われたほうが安心ということはありそうで、「わたしみたいな人はいますか」と聞いてくる患者は少なからずいる。
 スター疾患は世にも稀な大スターのほうではなくて、ひとつにはそういうよくある疾患という含みである。基本的な病気なので臨床医として押さえておかねばならないもの。あるいはその科で研究的関心の中心にあるような疾患。この場合は難治疾患かもしれない。もっともそういう疾患が各科で異論なくひとつに決まるかというとアレなわけですな。
 精神科の場合、それは統合失調症だった。精神科病院入院患者の大多数を占め、その病因の解明と治療法の開発は精神医学の重大課題であったし、今もそうだ。ところが最近、そのスターの地位が神経発達症(発達障害)に脅かされているようなのだ。別に競っているわけじゃないからいいのだが。
 わたしが専門とする精神病理学の学会は、3つの会場で同時進行するけれども、A会場が大ホール、B会場が中会議室、C会場が小会議室といった配分となることが多い。主催者が聴衆の注目度を推測して振り分けるのだが、かつては統合失調症の演題を出すとA会場だった。それが最近は神経発達症がA会場だったりする。関心が推移しているのだ。
 で、うつ病や躁うつ病の場合はどうだったのかというと、いつもひっそりB会場。どんなに王道を行くええ感じの演題を出しても、B会場。まあ、必ずB会場というわけでもないのだが、たいがいはそうだった。ほら、発表するからにはやはり大きな会場で大勢の同僚たちに聞いてもらいたいじゃない。東京大学の安田記念講堂がA会場のときには、迷わず統合失調症の演題を出しましたよ。学生紛争に間に合わなかった世代の憧れです。そして、うつはいつでもB会場。
 そのうえここしばらくうつ病の発表が減っているようにも思うのだ。
 学生のときは、統合失調症(当時は精神分裂病だった)は質的な異常で、躁うつ病は量的な異常と教わった。統合失調症の幻覚とか妄想は正常の精神生活には生じないものだが、うつ状態は正常心理にも起こりうるもので、程度の差しかないというのだ。つまり、統合失調症の体験は理解を超えているが、うつ病については理解可能なものだという含みでもある。だが、卒後臨床研修で精神科をローテートしたときには、統合失調症の不思議さは当然のことながら、うつ病も次第次第にわからないものだという実感が強まっていった。
 教授回診のたびに「元気が……出ないんです」とボソリと言う中年女性が記憶に残る最初のうつ病患者である。ため息を吐き出した状態のテンションのまま、まあ、うつだから元気は出ないのだろうが、それ以上に、「元気が」のあとに「出ないんです」がなかなか出ないのが印象的であった。落ち込むそれなりの理由があるのであれば、そんな意気消沈もあるだろう。しかし、その元気のなさに明らかな原因がないというのは理解できないことなのであった。
 その後、世間ではうつ病は心の風邪とか、誰でもかかる病気というキャンペーンがはられて、すっかりスティグマは軽減した。最近、パニック症で抑うつ状態も伴っていた患者が、うつ病だとは他人に言えるが、パニック症とは言えないと述べていた。パニック症もだいぶん人口に膾炙していると思っていたのだが、うつ病だと言えばそれなりに受け入れてもらえるのに、パニック症だと言うと「気の持ちようだ」と諭されてしまうことが多いのだという。確かに精神疾患は多分に気の持ちようだとは思う。しかし、持ちたいように気が持てれば世話はないのであって、「気の持ちようだ」と言う人は無責任にそう言うだけで持ち方を教えてくれはしないのだ。糖尿病の人に、「インスリンの出しようだ」と諭す人はいまい。わたしも最近、血圧が高めになってきて、血管の広げようだと思っているが、下がらないよ。
 それでもうつ病だと「気の持ちようだ」とは言われなくなったらしい。それはいいことではあるのだが、うつ病はあまりに当たり前になってしまって「うつ病だなんて、あいつ怠けているだけだろう」などと言われかねないご時世になった。その間、変化したことのひとつには抗うつ薬が増え、必然的にそのマーケットが拡大したことである。副作用の少ない薬が開発され、いささか極論だが、「それなりに副作用がありますが、うつがよくなるので飲んでください」という時代から、「うつかどうかよくわからないけど、まあ大して害はないから飲ませとけ」という時代に変化した。そうしてうつ病についてしっかり考えようという機運が先細りしてきた。
 うつ病は世間で脚光を浴びたが、いまや関心は斜陽、アカデミアではいつでもちょっと日陰者。もう一度うつ病、あるいは躁うつ病についてきちんと考えようという意見を共有する精神科医は少なからずいるが、まだまだ不十分だ。

 本書は、診断基準やガイドラインでは臨床に立ち向かえないことに気がついた新進精神科医や臨床現場の恐さに気づきはじめた心理師に考える材料を、そしてベテランの精神科医や心理職にももう一度考える材料を提供し、かつ初学者にはガイドラインにないあれこれをわかりやすく紹介しようというものである。患者をよく診て、自分の頭で考える、その手がかりを提供できれば、というのが本書の狙いである。明確なものなどどこにもない。だから臨床は面白い。
 全体は12の章からなるが、教科書のように系統だったことを書いているわけではない。最初の2つでは最近の動向を眺めてみた。第1の章は最近2、3年の動向、次の章には20〜30年の動向を。それから総論的な章を3つ。6番目から9番目は躁うつ病の症状、あるいは躁うつに代理してみられる症状について書いた。続く2章は躁うつ病の基底にあるものについて考えてみた。そして最後に治療的な見通しを少し。

2023年9月
自治医科大学 精神医学講座 教授
小林 聡幸
評者:松本 卓也(京都大学大学院人間・環境学研究科/精神病理学)

 精神病理学者の本というと、たとえば木村敏の『分裂病の現象学』や宮本忠雄の『妄想研究とその周辺』のように、弘文堂から上製・函入りで刊行された格調高い書物をイメージする人も多いだろう。『分裂病の現象学』は筑摩書房で文庫化もされたが、やはりあの「函から本を取り出す」という行為が重要であって、これから自分は精神病理学の本を紐解くのだぞ、と襟を正す手筈を踏むかどうかは読書体験にも少なからぬ影響を与える。たとえ函入りでなかったとしても、ソフトカバー(並製)ではいけない。硬い表紙のハードカバー(上製)でなければ「感じ」がでないのである。
 本書は、著者が1996〜2023年にかけて執筆したうつ病論をまとめた論文集である。同じ著者による統合失調症論集である『行為と幻覚』(金原出版)が刊行されたのは2011年のことであるから、ちょうどそれから干支が一回りしたことになる。『行為と幻覚』もソフトカバーであったが、本書『うつ病ダイバーシティ』はそれに加えて、収録されている精神病理学の論文をかなりユーモラスな筆致でリメイクしており、読みながら思わず何度も笑ってしまうようなつくりになっている。精神病理学の本で大笑いしたのは初めて、という体験をする読者も少なくないだろう。ちなみに、著者はもう1つの専門である音楽家の病跡学の本については2冊ともハードカバーで出しているけれども、やはり本格的な病跡学はまだまだハードカバーじゃないと「感じ」が出ないのかもしれない。
 もっとも、見かけに反して、書かれてある内容は本格的である(そもそも、元の論文はいずれも専門誌に出た精神病理学の論文である)。師である宮本忠雄の衣鉢を継いで、躁とうつの本態を混合状態に見定め、さらには妄想や焦燥や自己臭を現象学的・人間学的に捉える論述は、多くのことを教えてくれるだろう。しかも、この本のつくりである。いままで「お高くとまった」感じのする精神病理学を敬遠していた人々にも訴求し、あらたな読者を獲得することだろう。
 けれども、やはり時代は変わってしまったのだ、という感覚を抱かざるをえない。いつの頃からか、精神病理学のハードカバーの本はほとんど出なく(売れなく?)なった。評者自身も含め、精神病理学の若手はどこかコミカルであり、どこかに「なんちゃって」感があることを隠すことができない。おそらく著者は、精神病理学が「本格派」ではありえなくなった時代に、一体何をなしえるのかをそのスタイルによって問うているのだろう。本書が精神病理学における「本流」であった統合失調症ではなくうつ病を対象としていること、しかもその「本質」ではなく「ダイバーシティ」をタイトルに掲げていることは、この学の置かれた状況と、その状況のなかでいかにして火をともし続けることができるのかという困難への応答なのである。

<精神医学 Vol.66 No.2、2024年2月号、医学書院、p227より転載>


評者:佐藤晋爾(筑波大学 茨城県地域臨床教育センター精神科 教授)

シン・うつ病の教科書、もとい、治療論と精神病理学の幸せな結婚

 目を引くイラスト。ざらついた質感のソフトカバー。
異なる紙質で交互に綴じられ、明朝体と柔らかなゴシック体がまざった本文。
意図的に意味をずらしたイラスト。
 あれ、今、俺が持っている本は晶文社かミシマ社のだっけ?と誤解しそうな装丁。
医学書売り場で確実に異彩を放ち、存在感をもつに違いない。
 精神病理学の著作は、ある疾患や症候の、本質または機序が主題になると思うが、本書はそうではない。うつ病の主要・関連症状である不安、強迫、自己臭、ヒステリー、妄想などを、各論的に丁寧な精神病理学的説明を行って診断・治療と結びつける。そこに、小林先生が大変「苦痛」だったというマクラ話が挟まる。ちなみに、各章はほとんど元論文があるのだが、比較するとほぼ書下ろしといってよいくらい重要なことを落とさずに修正されている。どれだけのご苦労だっただろう。
 もちろん各論だけではない。宮本先生門下の諸先生方にとって重要であろう、混合状態概念が脊骨/「脊椎」として本書を貫いている。小林先生はその中でも不安に注目なさっていると思う(刻の章、臨床精神病理42 (1), 2021)。うつの精神病理は時間に関心が向きがちだが、不安を、DSMのつまらない併存概念でなく、広瀬先生のスペクトラム概念でもなく、本格的に論じたうつの精神病理学的考察は少ないのではなかろうか。
 また、本書ほど治療を強く意識した精神病理学の本を、不勉強を棚にあげるが、評者はあまり読んだ記憶がない……と書くのは精神病理学の本を誉める時の常套句だが、本書については、評者は本気である。もしかして、このような本は今まで無かったのではないか、そうなんだよなあ、こういう精神病理学の本を読みたかったんだよなあと、改めて思い至った。
今現在、普通に臨床をやっていれば薬物療法を避けることはできない。そして、精神病理学に関する著作で、これだけ詳しく薬物療法に触れている類書はないと思う。たとえば、躁とうつを平面(2次元)上の波でなく、異なる次元にあると考えるのが精神病理学的には正確かもしれない。しかし、薬物療法では、本書のように敢えて素朴に上下する波と考えた方が実践的である。実際、「あの患者さん、olanzapineか何かで少し〈抑え〉ないと危なくない?」「もう一息なんだけど、SNRIに切り替えれば、ちょっと〈上がる〉かなあ」などの発言は、普通に医局で交わされている(と思う)。ただ、上下の拮抗だけで考えるのは臨床では危なっかしく、moodをstabilizeするために何かを足さなければならない。その何か、つまり“mood stabilizer”を精神病理学的にどう考えればいいか。そうか、小林先生、そのご説明で一発ですね……(p.89)。もちろん、薬物だけでなく、特定流派ではない日常的な意味での精神療法や対応のヒントもちりばめられている。
 小林先生のたとえ話は大変に分かりやすい。患者さんや、ちょっとアレな研修医に症状の違いを説明するのに大変に重宝する。たとえば強迫と常同/こだわりの違いを「不安がー」「自我がー」と大仰に説明せず(もちろん説明してもいいのだが)、本書を一読なされば傑作な比喩を使って伝えられる(p.195)。この部分は、きっと小林先生がウンウン唸ってお考えになった(か、風呂かトイレで思いつかれた)ものだと思うので、本書をお読みください。評者は、最初に目にした時は声を出して笑ってしまい、直後に「なるほど」とちょっと感動した。
さらに本書は〈自治医科大学派うつ病論概説〉でもある。というのも、本書の邦文引用文献の多くが自治医科大学の錚々たる先生方のものなのである。うつが統合失調症より自閉的であると論じる際、木村敏先生の論文を引用しがちだと思うが、本書ではしびれることに宮本先生のご論文である(p.12)。
ある伝統のもとで考えを深めるとはこういうことなのだ。精神病理学は一人で行うものだと木村先生がおっしゃったと何かで読んだ。アウトプットする最終段階ではそうかもしれない。しかし、その過程では雰囲気も重要ではないか。20世紀初頭のパリやウィーンで、若い画家や音楽家たち一人一人が創造的だったのは、共有した雰囲気の影響も大きかったはずだ。出身医局に精神病理学のせの字もなかった評者には、羨望のせの字しかない。
 書かれていることは、当然、レベルが高い。少し驚いてしまう文体──評者はなぜか掟ポルシェや杉作J太郎を思い出したのだが、なんだか謝った方がいい気がしてきたので、すいません、小林先生──に惑わされてはいけない。付箋だらけになった本書から一つご紹介すると、うつ病患者が「〜できない」と依存的になることについてKraus, Aが述べた概念(p.143-144)。「躁うつ病と対人行動」で確かにヒステリーを論じている箇所があるが、初めて読んだ時、その重要性に評者はピンとこなかった。本書で、なるほどこういうことだったのかと勉強になった。この概念と機序を知っておくと、ちょっとでも面倒な出来事があると絶対に誰かが口にする「依存的」の一言であっという間に病棟が陰性感情に覆われた時、「いや、あれは微小妄想が背景にあるという考え方もあるんだから、慎重に対応しないとまずいよ」とスタッフたちに説明できる。
ありがたいことである。
他にも研修医はピンとこないであろうDepression sine Depressionが、さらっと節のタイトルになっていたりする(p.122)。そして等張性(p.285)!
小林先生が野間先生に悔しい思いをなさった(p.65)のと同じ意味で悔しかったです、小林先生……。
ところで評者の下世話な興味は、本書が書店のどの棚に置かれるかである。
最も驚いたのは、某書店で内海先生の三島論が、日本史の棚に置いてあったことだった。
本書は、東浩之さんと内田樹さんの近著に挟まれ、思想の棚に置かれているのを想像するのだがどうだろう。都内の大型書店パトロールをする時の愉しみにしたい。
最後、拝読し終わり、はたして自分は小林先生のように「ときる」(p.163)ことができているだろうかと、「焦燥」(p.252)の中に放り込まれた。
精進します。小林先生。

<日本病跡学雑誌 第106号、2024年3月発行、日本病跡学会、p89-90より許可を得て転載>

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