Ⅴ.おわりに19病跡学(パトグラフィー)の現状と課題ここでは、明治の文豪である夏目漱石を取り上げてみたい。従来の漱石研究では、Jaspersによる「その人の創造は病にもかかわらず現れたのか、それとも病によってこそ現れたのか」というテーゼに忠実に 5)、あるいはカナダの精神医学史家であるEllenberger HFによる創造の病(creative illness)の概念 2)、簡潔にいえば「病み抜けした時にこそ創造は生まれる」というテーゼのもと、実にさまざまな精神疾患(ないし病的な精神状態)と創造性との関係が論じられてきた 23)。こうした疾病生成的な立場からすれば、漱石は執筆活動によって神経衰弱と追跡狂を克服したのだという結論が出てくる。しかし、健康生成的な立場からすれば、漱石が一人孤独に執筆に向かい、神経衰弱と追跡狂を相対化しながらみずから癒しを得たなどとは考えない。どう考えるのかというと、漱石が俳句文芸誌『ほとゝぎす』の編集者であった高浜虚子に勧められ、今は亡き正岡子規の邸宅での朗読会に参加し、身近な仲間に対して『吾輩は猫である』のプレリリース版「猫伝」をお披露目し、そこでの好評を得ながら書き進めたことこそが、漱石の精神的健康にとって重要であったと考えるのである 23)。サルトグラフィー研究によってこそ、漱石の筆が猫による観察記録から登場人物たちの勝手気ままな語らいに移っていった本当の意味が理解できるだろう。留学中に友を亡くした漱石は、不在の世界をともに生きる仲間を希求し、多くの読者を獲得しながら国民的作家になっていったのではなかろうか。こうしたサルトグラフィーは、従来の研究を見直し、病跡学のよりポジティブな側面を発展させるのに一役買うことになるのではないかと考えられる。ここまで紹介してきたように、病跡学(パトグラフィー)は、ある人間が「病にもかかわらず、あるいは病によってこそ」価値ある創造的活動を行ったという精神の軌跡(trajectory)を記述するものである。となれば、そのようなポジティブな価値とは無関係な精神症状を、現病歴や治療経過の中で記述していく臨床的な事例報告(clinical case report)とは大きなギャップがあることを認めざるを得ないだろう。それゆえ、病跡学の存在意義が問われることになる──今日の臨床精神医学において、はたして病跡学は必要なのだろうか、と。もし、われわれ精神科医が完全に人間から興味を失っているのだとしたら、病跡学という学問はもはや必要ないのかもしれない。目の前の病人に対してなんら疑問を抱かないまま教科書的な症状を抽出し、ガイドラインに従った治療を施
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