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Ⅳ.日本の病跡学(パトグラフィー)の三つの新領域とその課題17病跡学(パトグラフィー)の現状と課題神科医であるAndreasen Nは、30名の作家と30名のコントロール群を比較し、作家は高率に感情障害、とりわけ双極性障害に罹患し、一親等にも感情障害が高率にみられたが、知能(IQ)と創造性は関連がなかったことを明らかにした 1)。イギリスの精神科医であり、みずからも双極性障害に罹患していることを公表しているJamison KRは、著名な詩人、小説家、劇作家、伝記作家、芸術家の気分変動と創造性を調査し、軽躁病と創造性の密接な関係を見出し、これに対して創造性エピソード(creative episode)という呼称を提出した 3)。これらの知見は、かつてKretschmerが「精神生活の著しい周期性こそ天才的創造力の特徴である」 12)としたことと響き合っている。ただ、いずれにしても、宮本が「この状態(=軽躁状態)ではむしろ、現在の生をゆたかにすること、日々のなかで健康に働くこと、一言でいえば『生きる』ことにすべての力が注がれ、まわりの事象は主体と一体になって、ともに高揚し、ともに衰退し、そのため創造者にとって必要な『世界からのへだたり』がなくなってしまう」 12)と指摘したように、気分が高揚し、活動性が高まる時期において創造的行為がなされるという単純な理解には限界があることに留意しなければならない。というのも、創造者というのは、人間である以上、創造の時間を確保し、創造の場所にひきこもる契機を手にしなければ、創造的活動を行うことが不可能なのだから。日本の病跡学(パトグラフィー)は、精神医学の内外からの批判にさらされながらも、研究の対象と方法に修正を加えながら、今なおその範囲を拡張している。ここでは、日本の病跡学に登場した三つの新領域を紹介しよう。第一は、エピ−パトグラフィーである。宮本は、高村光太郎、智恵子の夫婦を取り上げ、健康な創造者である光太郎が、当時の精神分裂病を発症した智恵子に影響され、詩作を行ったことを考察し、エピ−パトグラフィーと呼ばれる新たな領域を切り開いた 13)。宮本の一番弟子である加藤は、これを思想的系譜におけるエピ−パトグラフィーにまで拡張し、たとえば、精神疾患を患ったとされる詩人ヘルダーリンを師とした健康な哲学者ハイデガーが病理性を孕んだ思想を展開したと考察している 7)。病跡学の縁がここまで広がってくれば、社会学者の大澤が近代社会は「自己意識をもつ社会」であるとし、例えば、「フロイトがどういうふうに心を理解したのかということ自体が、一つの時代というものを物語って

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