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Ⅰ.はじめに病跡学(パトグラフィー)の現状と課題田中伸一郎14第1部 パトグラフィーへようこそ病跡学(パトグラフィー)とは何か。一言でいうと、人間の創造の秘密を探求しようと試みる学問である。精神医学の立場からすれば、事例研究(case study)の方法によって心の状態と創造性ないし創造的行為の関係について考察する精神病理学の応用領域であり、古きよき精神医学らしさを残し、天才学を含めた医学的人間学として人文科学との接点を有する学際的な分野であるといえよう。病跡学研究の概要をまとめると次のようになる。研究の目的は、対象となる創造者がどのような時代に生き、どのような場所・地域で暮らし、どのような人々に囲まれ、どのような人生を送り、いかにして創造性を発揮し、いかなる創造的活動を行ったのかという精神の軌跡(trajectory)を描き出すことにある。研究の対象は、例えば、小説家、作家、マンガ家、詩人、画家、作曲家、音楽家、舞踏家、映画監督、実業家、政治家、哲学者、科学者、心理学者、精神科医、医学者などであり、なんらかの病気、とりわけ精神疾患を患っていた(と推察される)人物である。研究の方法は事例研究(case study)が主であり、この点において精神病理学、精神鑑定の方法と共通している。また、研究の対象選択において、研究者自身の人柄、罹患しているなんらかの病気、臨床フィールドと臨床経験、人生経験、そして対象への愛好が反映されるというのも、精神鑑定は別にしても、精神病理学の場合と共通しているといえるかもしれない。それゆえ、時折著名な心理学者、精神科医を対象とした病跡学が発表されることになるのだろう。本稿では、病跡学(パトグラフィー)の歴史と英語圏の病跡学「的」研究の現状を通覧したのち、日本の病跡学に登場した新領域としてエピ−パトグラフィー、作中人物の病跡学、サルトグラフィーの三つを紹介しながら、これからの病跡学の課題について私見を述べることとする。

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