オフィシャルなもの、正当なものになる、という感覚を多くの一般の人は持っています。たとえば職場に心の調子が悪そうな人がいたとして、傍目にどう考えても病んでいる。しかし、素人診断はいけないから、お医者さんに診断してもらってきなよ、みたいにアドバイスされて来院した、みたいな人は非常によくみますよね。逆にいえば、精神科医に診断されなければ、それは名前のつかない、対処のしようのない不調なわけです。よく考えれば、精神科医がしているのは、その不調のなかに星をみつけ、つなげて星座を作るように病名をつけているだけなのであって、そもそも最初から「病気」は存在しているはずなのですが、その切り出して、名付けるという行為によって初めて「病気」が発生する、というか、不調になった時から現在までが「病気」の過程として切り出される感覚になる、というのはなかなか興味深い現象です。「診断書」というものを求められることがよくあります。職場や学校から、この人はこういう「病気」で通院していて、具合が悪いから、こういうことに配慮が必要ですよ、とかしばらく休んだほうがいいですよ、とかいう内容を診断書には書くわけですが、診断書を書く前からその人は「病気」なのであって、診断書を発行する前後で患者さんの状態が変わるわけではありません。ただ、医師が診断書を発行することによって、社会的に「病022
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