経理課の⌇⌇さんのほうが具合悪そうだったし」といった比較により自らを相対的に健康と考えねばならない外圧との葛藤の表れであろう。皆、それぞれの固有の脆さがある。この当たり前の前提の共有から始めたい。私の脆さ、それは私が偽者だという感覚から発生している。この感覚自体は、いつからだったか覚えていないが、昔から持っていたと思う。人生のあるところで、自分は王道キラキラ街道を無条件で進めるタイプの人間ではないのだと気づいた。いやいや、十分王道キラキラ街道を歩いているじゃないですか!という人がいるかもしれないが、これも先ほどの世界最弱の話ではないが、相対的な話である。私が「この人は王道キラキラ街道を歩いてるな〜」と思う人のなかにも、自分は王道ではない、偽者であると感じている人はいるはずであり、客観的に見てどうかということではなく、主観的にどうかという話だと考えてほしい。私は特に21歳以降の10年くらいを、王道からの逸脱、偽者という自己認識から過ごしてきた気がする。王道のアイツがこうしている、ならば偽者の私はこうする、というような文脈で行動を決定してきたように思うのだ。このように認識せずとも楽しく暮らしていける人は当然ごまんといるはずで、そ 2424
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