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私の実感には乖離がある。私が真にすごいわけではない、ということがなんとなく透けていて、真実の目を持った人にはそれを完全に見抜かれているのではないかという気がしてくる。うまくいってるぜ、という嘘くさい雰囲気に同化してノッているとき、私はこの気持ちをいっとき忘れているのだが、ふとした瞬間に、ほんとうは中身のない人間なんだ、偽者なんだ、ということを感じざるをえなくて、真っ暗な虚無が全身を襲う。普段、私は精神科医として病院で働いている。プロとしてやっていくのに過不足ない一通りのトレーニングは受けたし、資格もとった。毎朝起きて出勤するのは、中高時代の過剰適応モードがない今ではかなり辛くて、実はそれなりに毎朝行くかどうか迷っているのだが、なんだかんだで休むこともなく出勤して、なんとなく病棟や外来で診療をして家に帰ってくる、という生活が破綻なくできている。行動だけみると、当直も連勤もしているし、仕事中にキャパオーバーになって泣いたり、倒れたりするようなこともない。完璧に適応している。WHOの健康の定義では、などと持ち出すまでもなく、他覚的には健康に映るだろう。健康どころの騒ぎではない、健康以上である。2222

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