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39と結びつけて理解したほうが早いなと無意識に思ってしまうし、自分の言葉で語っているほうが、真実味がある気がしてしまう。ふたつ目には、日頃から牽強が許容されやすい文化に親しんでいるからである。まず詩の世界がそうである。大抵の詩というのはその内容をそのまま理解しようと思っても困難である。文構造が破壊されていたり修辞が重なり過ぎて、読んだそのままに理解するのがむずかしい。じゃあなにを読めばいいのか、ということなのだが、それすら人それぞれで、ある詩や詩集についてなにか評論めいた物を書くときは牽強になりやすい。それから精神療法がそうである。特に力動的な方向性の治療においては、相手の連想に対してあまり一般的ではない言葉をかけることがある。たとえば「学校がひどいんです! うちの息子は3ヶ月も言いたいことも言えずに我慢しているんです」などと患者(クライアント)が言ったとき、「この治療も3ヶ月経ったところですが、言いたいことが私に言えない感覚があなたのなかにもありますか」などと返答することがある。セラピーの場でなければ、息子の学校の話をしているのに、なにを言っているんだこの人は気味が悪いな、

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