COLUMN1-牽強男子COLUMN1-37れば調べたりして、新たにその内容を取り込まねばならない。なのに私は「要はこういうことでしょ」と自分の既に持っている感覚で、書かれていることを解釈してしまうことが多いわけである。するとどういうことが起きるか。たとえば「この間貸したジャン・ポール・キャミーユの『ガパオライスの現象学』どうだった?」などと友人に聞かれた際にも、「あー、あれはガパオライスについて複雑なことが書いてあるけど、要はタピオカ屋が最近減ったよねってことを言ってるんでしょ?」などと見当違いの話をしてしまい、「いやいや、あれはガパオライスの現象学について書いてある本であって、どこにもタピオカの話なんか出てこなかったじゃん……」などと友人にドン引きされてしまうことになる。つまり、分からない、自分のなかにないことについて考えるとき、調べたり尋ねたりせず、自己流の解釈をしてしまうのである。このように結びついていないものを、強引に結びつけることを牽強というが、なぜ私が牽強をするかと考えると、ひとつは極度のめんどくさがりだからである。分からないことがあったときに、尋ねるとか調べるといったように思考を切り替えられず、知っていること
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